2012年4月16日月曜日

『残念な日々』

愛すべき呑んだくれたち

 
『残念な日々 (新潮クレスト・ブックス) 』
ディミトリ フェルフルスト:著
長山さき:訳


  ふとワイワイと酒を飲んでいたら、なにかまじめに物事を考えて捉えてみたくなった。じゃあ、目の前のことを考えるのが一番良いということで、酒を飲むという行為自体を本気で考えようと思ったその刹那、チューハイの泡を見ていたら、とてもうまそうで飲んでしまった。繰り返すこと数十回。考えなどはまとまらぬまま、気づいたら、目の前の友人が放つキーワードを拾って、50倍のホラ話にして返している。記憶はここまで。先へ先へと伸びて行く、ホラ話がどこで着地したのかもわからない。  次の日に残されるものと言えば、だだっ広い荒野にいくつかのおもしろそうなVHSテープ(デッキなしで再生不可)が散乱しているだけ。例えるならそんな状況だけが、毎回地層のように積み重なっていく。自分の場合、そこに色恋沙汰が生まれるわけでも、なにかお金を生み出すこともほとんどない。ただただ、酒を飲むという行為そのものが愛しい光を放っていて、そして1杯ごとで人生が狂っている。
  この小説は、まさにそんな愛おしい光に魅入られた男たちの話。ベルギーの片田舎、母親に愛想を着かされた父子は、飲んだくれオンリーの父兄弟、そして彼らを愛する心底優しい母の住む実家へと居を移す。その目の前で繰り返されるのは、父や伯父や酒飲み仲間の、とことん突き進む酒飲み譚(極めつけは、飲んだ量で双六のようにして進む泥酔ツールドフランス。勾配のきつい坂はキツい酒!)。まぁ、常識的に考えれば無駄なことのばかりだが、それを愛おしいものとする、あたたかな目線がそこには書き込まれている。それは彼らを見守る年老いた母親(まぁ人によっては不幸にしか見えないかもしれない)や、父や伯父たちの団結する家族愛といったところだろうか。残念だが温かい。それ故か、「残念な日々」というタイトルは、一見、その伯父たちの無茶苦茶な酒飲み話のことかと思えば、最後まで読むと、むしろそこから足を洗い、クールに生きることを選んだ主人公の後悔のブルースなのかもと思わされてしまう。温かくてハチャメチャで楽しい、そして悲しい。

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