2011年11月17日木曜日

My Favorite Things——父のこと



 いきなり第1回目から湿っぽい話で恐縮だが、約1年経って思うところもあって書いてみることにする。今年の1月5日、正午過ぎに60歳で亡くなった実父のことだ。

 1950年生まれの父は、18歳で山口から上京し、画家になるため国立の芸大を目指していた。祖父には画家などでは飯が食えないと反対され、あまり実家からの支援のないまま、父は三浪の末、諦め、富ヶ谷に住むとある塗装職人の弟子となった。以来、その後は独立し、40年の間、塗装業を生業とした。
 そんな父親にも、いくつか趣味があった。絵はもちろんだが(これは僕の記憶では30代には辞めている)、釣りや読書、いろいろあった。そして晩年はそうでもなかったが、僕が子供の時分まではよくジャズを聴いていた。といってもたまに家のステレオで聴くぐらいである。上京してからと言っていたので、1960年末頃、美術系の浪人生であった父親にとってジャズ喫茶にたむろするというのはクールな、ひとつ憧れのライフスタイルだったのかもしれない。
 父が当時買ったレコードはいまでも残っている。金銭的に贅沢もできなかったのであろう、そこまでマニアックな収集家にもならず、父が残したレコードは数十枚ほどだ。いまだにもちろん家にはある。内容は1950年代〜1960年代にかけてのモダン・ジャズだ。あってもエリック・ドルフィーぐらいまでで、フリーやエレクトロニック・マイルスなどはない。あとは同じく趣味であった落語のレコードが同じくらいと、隙間には子供用のNHKのレコードが挟まっている。
 晩年(といっても癌がみつかる直前なので50代)はほとんど聴いていなかったと思うが、ときたま酔うとマル・ウォルドロンの“Left Alone”を「ペ、ペーペーン」と上機嫌に歌いながら「おい、祐介、“れふとあろーん”だ」と、口走る、その程度であった。もちろん、自分が音楽に興味を憶え、部屋からそうした音が聴こえるようになると、「お、マイルスか」などと話すことはあった。

 話はいきなり1990年代末に飛ぶ。当時、僕は高校生。すでに音楽をどん欲に聴いていて、まだまだIDチェックのユルかったクラブにも生意気に行っていた(まさか30歳になってそのとき遊んでいたクラブに入るとも、もっと前に読んでいた雑誌で物書きをはじめるなど思ってもいなかった)。比較的自由であった高校の昼休みを利用して入荷したてのレコードを買いに行っていた。高校から約10分のアルタのシスコ、まだ武蔵野館のなかにあったタワー、ユニオンなどに行き、テクノやドラムンベースのレコードを買いあさっていた。ひとつこの動きに力をもたらしたのは、アナログのターンテーブルが家にあったことだ。当時と言えばどこの家にもほとんどターンテーブルが消えていた時代だ。我が家には父がジャズを聴くのに使っていたものがあったのだ。初期投資なく聴くことができた。これは高校生には大きい。高校生にとってターンテーブルとは、購入には少なくとも数ヶ月を要する代物だ。これも父の趣味あってのものだ。
 その頃のことだ、テレビを見ていると、例のJRの「そうだ、京都へ行こう」のCMで“My Favorite Things”がBGMとして流れてきた。当時、コルトレーンのヴァージョンが使われていたのかどうだったか失念してしまったが、父は「コルトレーンかな、いいね~。懐かしいなぁ」とうれしそうにしていた。もし、それがあるならレコードを頂戴しようと、よこしまな思いで「持ってるの?」と訊ねると「いや、あれは買わなかった。当時LPは高かったから数は買えないし、でも、なにより当時はジャズ喫茶にいけばどこにでもある曲だったんだよ」と。
 あるとき気づくと、父の誕生日が近かった。前述の会話もあって、プレゼントとして、真っ先に浮かんだのは、当時、出始めていたデジタル・リマスターの紙ジャケ再発のコルトレーン『My Favorite Things』のCDであった。もちろん、それなら俺も聴ける、という気持ち少なからずあった。バイトの金で買ったはじめての父へのプレゼントでもあったためいまでも印象が強いのだが、なぜかプレゼントを渡したときの記憶はあまり無い(照れくさかったのだろう)。しかし、その後は、何度か父が家で聴いているのを目撃したし、大学生になり、社会人になり、家で呑みながらふたりで話が乗って行くうちに、一緒に聴いたことも何度かある。

 音楽を趣味にするということ、そしてコレはまた別の機会に書くが、読書、そして酒飲みと、父が趣味にしていたものを自分もいつの間にか自分のものとしていた。そういうものは多い。別に直接コレをやれと教えられたわけではないが、自分がコレと思い選んだものを妨げないという理解が家の空気には流れていた。音楽や本があそこまで身の回りになければ、そういったものに興味を持つことはなかったのかもしれない。
 自分が継承しなかった父親の趣味はパチンコと釣りぐらいのもので、父が収集した書籍などはいまでも読む物がなくなれば漁る。そして、ちゃっかり自分のものとしている。



 父の葬儀は、年末年始や斎場のスケジュールの関係で亡くなってから約1週間後に行われた。父が12月の最後の入院に赴く直前、母親の乳がんが見つかるというなんとも言えない状況があった。幸いながら母のがんはそう大きくなかったがすぐにクリスマス前に手術を行った(皮肉な話だが、母親は最後の数週間のうち2週間ほどは同じ病院で長い時間過ごせた)。その辺もあり喪主は自分が務めた。とはいえ、喪主と言っても挨拶周りと意思決定ぐらいのもので、あとは町内にある葬儀屋がすべて手配してくれた。父親のことだから、お清めの酒はケチらず無尽蔵に、母親の希望はそのぐらいで、もちろんそれは僕も賛成だった。あとは、粋で洒落たおっさんだったし、ひとついまの自分とのつながりという点でBGMとして父親の好きだったジャズを流してもらうことにした。母親に若い頃から聴いていた曲などを訊きつつ、一応、さすがに葬式なので曲調も加味しつつ、ウェス・モンゴメリーの『Road Song』、そしてジョン・コルトレーンの『My Favorite Things』、この2枚で、お通夜、告別式とかけてくれるように葬儀屋にお願いした。

 式は滞りなく進んだ。できるだけ泣かないようにつとめていたというわけではないのだが、順繰りに進む儀式ひとつひとつに緊張をして泣く暇がなかった、そしてまだまだそこに肉体があることを感じると、30年もの間一緒にいた人間が未来永劫会えなくなるという実感がなかなか浮かんでこないのだ。なによりも通夜の間は、その弔問客の人数に圧倒され、父親を誇る気持ちがいっぱいになった。建築系の労働組合の役員をしていたとは、従業人もひとりしかいない、その辺の塗装屋にも関わらず、通夜では300人もの人々が弔問に訪れてくれた。葬儀屋には「たくさんの方がいらっしゃったのはわかるんですが、人数から考えても、お銚子の数、ちょっとなかなかの数字ですよ……」とびっくりされたが、「大酒飲みのお父さんらしい葬式ね」と母親はよろこんでいた。もちろん僕も同じ気持ちだった。
 表向きは、ほぼ感情的にならずに過ごせていたのだが、しかし、出棺前の喪主挨拶では、用意してきた原稿を半分も読めなかった。号泣してしまったわけではなかったが、喉がつまり、みるみると涙が出てきてしゃべれなくなった。この挨拶で、この式が終われば、いま目の前にいる父親の形がついになくなってしまう。そういった心持ちであったのだと思う。ずっとうしろでは『My Favorite Things』がリピート再生されている。そして、いよいよ出棺という時、『My Favorite Things』の収録の2曲目が流れた。テンポの軽やかな表題曲よりも、幾分落ち着いたバラード調の曲だ。

 出棺の光景と柔らかなその楽曲が、とても印象的で、どうしてもその曲が頭のなかをリピートし、数日後も聴き直した。そのとき、葬式のときにせき止めていたなにかが外れて、もうどうしようもないぐらい涙が出てしまった。そのとき、知らず知らずのうちに我慢していたものが、音がその情景を頭に描き、感情を呼び覚ましてしまったのだろう。
 恥ずかしながらそのときまでその曲のタイトルを知らずにいた。だけど、これがまたよくできたことに“Everytime We Say Goodbye”というカヴァー曲。コール・ポーターという数々のスタンダード・ナンバーを送り出した作家の楽曲だ。近年ではシンプリー・レッドなどもカヴァーしている曲だが、これがまた歌詞がどんずばな内容だった。だけど、あのときに関して言えば、歌詞(歌)は無かった方が良かったと思ってる。あまりにもどんずば過ぎて、メロドラマになってしまう。よくできすぎた話はあまりリアリティがない。とはいえ、これを父親がしむけただとか、スピッた奇跡には同調しないが、こういったタイミングの良い偶然は受け入れるしかない。

Everytime we say goodbye, I die a little,
Everytime we say goodbye, I wonder why a little,
Why the Gods above me, who must be in the know.
Think so little of me, they allow you to go.
When you're near, there's such an air of spring about it,
I can hear a lark somewhere, begin to sing about it,
There's no love song finer, but how strange the change from major to
minor,
Everytime we say goodbye.





 こういった忘れ得ぬ音楽体験というのはたまに訪れる。ただの葬式の風景が、音楽によって、記憶のなかに強烈に植えつけらた瞬間だ。今後もコルトレーンのこの曲を聴く度に、僕は父の葬式のあの光景を思い出すだろう。ただ、1年近く経ってひとつ変わってきたことがある。この曲から導み出される記憶は葬儀の光景だけでなく、父の生前の姿や笑顔を描き出す頻度が高くなっているという点だ。
 悲しい記憶に、時を重ねて折り合いをつけるというのはそういうことだと思った。
 音楽を聴いていると、ときたま、それがあるのとないのでは大きく違う、そういったある種の完璧な体験をしてしまうことがある。もちろん、それは日常の些細な音楽体験の積み重ねとタイミングが生み出すものではある。
 音楽と共に生きるというのは、だからやめられないのだ。

 なんだか、とりとめのない文章になってしまった。しかも冒頭で父のことを言ったわりには自分のことばかり書いてしまった。

 今後はもっとユルめの内容がメインです。

0 件のコメント:

コメントを投稿