2012年3月8日木曜日

『地上の飯――皿めぐり航海記』






『地上の飯――皿めぐり航海記』
中村和恵:著(平凡社)

 いわゆるグルメ・エッセイとか、紀行文とかなんですが、あまり海外旅行や、グルメという言葉に無頓着でピンとこない自分にとって、普段だったらあまり読もうと思う部類の本ではないのだけど——あんな体型をしていておかしいが実はわりと飯には無頓着で、なんでも食えるのだ、だからこそ太る。しかし、この本は、とある週刊誌での書評で購入(小説以外はわりとそのルートが多い)、読み始めてから数時間で一気に読み終わってしまうほど面白かった。

 著者は比較文化や文学、翻訳などを主とする大学教授のようで、これまでも詩集や翻訳書などをいくつか出している人のようだ。まぁ、他の本はもちろん読んだことはない。
本著では、カリブ海にうかぶドミニカでの話から、タヒチや幼少期に過ごしたというロシアや東欧諸国、そして日本の食文化までさまざまな地域を巡り、“食”を媒介に、文化や風土、そこに生きる人間の感性など、あれやこれやと描いている。対象となる食物/食の事情は、ドミニカの魚汁から、インドの蒸しパン、フランス料理、パンの実、幼虫、そしてときにはカニバリズム(もちろん体験の話ではない)から、つらら、そして昨今のくじら問題や食物の放射能汚染まで多岐にわたる。上記のような多彩な食物を前にして、書かれているテーマは様々だが、そのどれもがなんとも愛おしい視点というか、食べ物に対する愛情、いや食べるという行為の楽しさがひしひしと伝わってくるような視点なのだ。それこそ本著のあとがきのように書かれている「食いしん坊であることについての言明」ということなのだろう。そう、そのユーモラスでチャーミングな視点は「食いしん坊」という言葉が相応しい。しかしはっとするような視点を食物を通して投げかけてくるのだ。

「匂いをかぐのは食べることなく食べ物を試しているのだ」
(「皿の上の雲――序」より)

 とか、まぁ、そういった金言がナイスなリズムに乗って、ポロポロと文章から溢れてくるのだ。

 そして極めつけというか本著で最もお気に入りなのは「フリカケの存在意義」という話。
 これは日本の食文化に無くてはならない“フリカケ”について、外国人から「どうやって食べるもの? というかなに?」というような問いから発したエッセイなのだが、これがクスクスと笑いつつ、海外における日本の食文化についてうなずきつつと読めてしまう面白さがある。
 そうそう、この本の魅力をもうひとつ。これは忘れてはならない。文学者の著者らしく、この本の食物の話のなかのほとんどの部分には、その食べ物への思考の旅路(もしくはその逆も)となるべくさまざまな文学作品との出会いが用意されていることだ。文学作品に出てくる食べ物、直に接した現地の現代作家とその背景との邂逅、と、さまざまな経路が出てくるが、そちらの“字”の道を楽しむのもまたおもしろい。

 読者と語らうような、その柔らかな文体もいい。



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